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「荒川」の正体を探るサイクリング。
2017年 05月 10日 *
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昨年の秋にサイクリングした「荒川」。
ほとんど下調べせずに現行の流れに沿って走ったわけだが、実は腑に落ちない点があった。

ここで再びウィキペディアの説明を引用してみる。

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「荒川(あらかわ)」
永平寺町の吉野ヶ岳を源を発し北流。
福井市に入り南西に転じ、福井市勝見で足羽川に合流する。
古くは吉野川と言ったが、大変荒れる川として荒川という名になったとされる。
(ウィキペディアより引用)
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気になるのは、この中の「大変荒れる川だから荒川」と言う点だ。
本当にあの流域面積をして、名前を変えたくなるほど荒れ狂ったのかと…。
(もっとも、小さな里川でも猛威をふるうことは、福井豪雨の際に身を持って体験しているが)
足羽川との合流点が「北の庄城」にほど近いので、大げさに語られたのだろうと適当に納得していた。

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上記のことなどすっかり忘れていたこの前、県立図書館で面白い本を借りた。
「越前若狭 河川のルーツ (昭和57年発刊 上杉喜寿著)」と言う本だ。
その名の通り、福井県の河川の歴史を紐解くような内容となっている。

その中にこんな記述があった。

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荒川は、江戸時代の初期には、九頭竜川が松岡付近で分岐し、旧東藤島村の
原目村に向かって流れ、突当った山麓に深い「岩渕」を作り、吉野岳から
流下する吉野川に合流し荒川と呼ばれて福井に流れた。
(越前若狭 河川のルーツより引用)
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これを読んだ瞬間鳥肌が立った。
つまり「荒川」の正体は「九頭竜川」の派川(分流)だったのだ!
県下最大の大河「九頭竜川」が本体ならば、「荒れ狂う川」と言われたのも納得がいく。
むしろ吉野岳からの流れの方は、派川に流れ込む支流と言えるのかもしれない。

※※※※

いてもたってもいられず、GWの最終日にこの辺りを自転車で回ってきた。
とはいえ、江戸初期だから約400年も昔の話。
果たして痕跡は残っているのか?

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まずは「元覚堤(河川のルーツ内では源覚堤と記載)」があったと思われる付近に向かう。
徳川家康の次男、結城秀康が北ノ荘藩主に就いた際、家老の本多富正(隠居後の名が元覚)が築いた堤だ。
松岡から北野にかけての連続した堤防だったようで、これが「九頭竜川」から「荒川」を切り離したのだろう。

現在、この付近の堤防上はサイクリングロードになっているので、過去に何度か走っている。
「五松橋」の南詰から堤防上に入り、下流に向かう。
九頭竜川は「鳴鹿大堰」から「福井大橋(R8)」にかけて大きく南側に膨らむようにカーブを描いている。
大水の際には、いかにも南側に流出しそうな形状だ。

ちょうどカーブの頂点辺りに小さな公園がある。
「内水面総合センター」という鮎関連の施設に併設されていて、トイレと木製の遊具が設置されている。
その公園の一角に、ひっそりと「比丘尼塚」と彫られた石碑が置いてあった。【写真
併設された看板によると、かつての荒川への分流地点付近は堤防が欠損しやすく、尼さんを人柱にしたという。
つまり、この付近が分流地点だったようだ。

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ここで再び「五松橋」の南詰に引き返す。
地図を見ると、その付近から「えち鉄・観音町駅」付近にかけて、自然な線形の水路が描かれている。
「福井北IC」付近は区画整理されて直線的な水路なのに、ここだけ蛇行しているのが気になる。
「比丘尼塚」の分流地点とは離れるが、なにか過去の水流の名残があるのかもしれない。

現地に行くと理由がわかった。
この蛇行する線形に沿って崖が走っており、その崖下に水路が流れているのだ。
河岸段丘と思われる崖は、高いところでは10m以上ありそうだ。【写真
ちょうど水路が向きを変える「観音町駅」付近で段丘崖は終わり、整理された水田に沿って水路は直線的に変わる。

帰宅後、昭和23年の航空写真を見てみると、松岡の町並みはこの段丘上に発展している。
九頭竜川の出水に備えて、小高い丘の上に町を築くのは当然といえば当然。
段丘下の住宅地は、強固な堤防を築くことが出来るようになった以降に発展してきたのだろう。
どうりで新しい住宅が多いわけだ。

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そのまま水路をたどり、日通横の交差点で現行の「荒川」沿いに出た。
次は「かつての荒川」と「吉野川」の合流点を探ってみたい。
「河川のルーツ」には、『原目村に向かって流れ、突当った山麓に深い「岩渕」を作り…』とある。
山にぶつかるとなると、現在の「原目配水池」の北面あたりだろうか?【写真
そう考えて、山の裾野を走ってみるが、とくに岩壁らしきものは見当たらない。

ここで「荒川」の右岸に目を向けると「間山町」住宅地の東側を流れる水路がこの付近で合流する。【写真
昭和37年の航空写真でも、この付近で水路らしきものが合流している。
ひょっとするとこの合流部は、かつての流れの名残ではないだろうか?

何気なく田んぼの畦をみると丸い石が積んである。【写真
50cmも掘れば川石が出てくると書いてあったので、それを利用したのか?

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「河川のルーツ」には、かつての流れは「松岡変電所」→「(旧)福井北IC入口」→「原目町」を結ぶ線だったと書いてある。
「間山町」内を通り、「福井北JCT」付近を経由、「松岡変電所」に向かって走る。
しかしこの一帯、高速道路を建造した際に整備されたであろうから、特に気になる痕跡は確認出来ない。

「松岡変電所」の裏を周り、「九頭竜川」に近づいてくると、小さな社が建っていた。【写真
併設された石碑を読むと、弁才天が祀られているらしい。
先日の広島・宮島の時にも書いたが、弁天様は水の神様だ。
「芝原用水」にも関わるこの付近は、九頭竜川治水の重要地点だったのだろう。

先ほど引き返した「内水面総合センター」から再び堤防上に乗る。
ここから派生していたであろう「荒川」に思いを馳せながら、コーヒーを飲んで今回のサイクリングを〆た。

今回走ったルート。


※※※※

さすがに400年前ということで、予想通りほとんど痕跡は無かった。
コレは!というものは「比丘尼塚」くらいだろうか…。
しかしこの一帯を走った上で地図を眺めると、ぼんやりと見えてくるものがある。

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まずはこの付近の地形図だ。
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九頭竜川の松岡付近から南西へと延びる流れがあるが、これは芝原用水。
旧福井北IC付近には灌漑用の水路が認められるのみ。

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同エリアの航空写真
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「河川のルーツ」の記述にあったポイントを追記している。

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さらに、高速道路が建造される以前の航空写真。
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どうだろう。
なんとなく、かつての流れが見えてくるのは気のせいだろうか?


by daisuke_youmei | 2017-05-10 20:47 | 自転車 | Comments(2) *
Commented by YAMA at 2017-05-11 06:30 x
久々のブラヨウメイですね!
河川のルーツの上杉さんも、草葉の陰で
喜んでいるのでは?

またこの続きがあるんでしょうね(^^)
写真全部クリックしたのは私だけかも?(笑)
またよろしくお願いします~
Commented by ヨウメイ at 2017-05-11 19:38 x
>YAMAさん
著者の上杉さん、ものすごくマニアックな方ですね!
アレだけの内容を独自に調べているのが素晴らしいです。
山々のルーツもそのうち読んでみたいです。
峠のルーツも気になってます(笑)

荒川にはまだ気になるポイントがあるので、そのうち行ってみようと思っています。
嶺北の川に絞ってもまだまだ楽しめそう。
自転車乗るより記事を起こす方が大変なのが難点ですが~

全部見て頂いてありがとうございます~。
一人でも読んでもらえれば満足です(笑)

またそのうち書きます。
よろしくお願いします~
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